No.0080

パッシブ投資の落とし穴

若いころ、福袋を何度か買ったことがあるが、喜べたためしがない。福袋というのは、その店の主要商品(例えば、文房具屋の場合は文具用品)の何かが、総額的に見たら割安な組み合わせで詰め込まれたものと言える。確かに、福袋の中の一つ一つの物を見ると、通常の市販価格との比較では割安なのかもしれない。しかし、自分が必要としていないものを市販価格より多少安く入手した行為を、「得した」という主観的幸福に転換することは、正当化が難しいように思われる。
翻って、最近の金融業界では、株式投資はパッシブ運用(日経平均株価やTOPIXなどのベンチマークに連動する運用成果を目指す手法)で良いという考え方が広く普及しているように思われる。しかし、パッシブ運用への投資というのは、TOPIXを例にすると、東証一部の銘柄を時価総額でウエイト調整した上で全銘柄買うのと同じである。我々のような機関投資家のファンドマネジャーからすれば、控えめに言っても東証一部銘柄の半分、より精選すれば3分の2くらいの銘柄は、はっきり言って買いたくない銘柄である。
そうした不人気銘柄が漏れなく入っているパッシブ運用が魅力的とは、私にはどう考えても思えないのだ。不要商品が入っている可能性が多大にある福袋を買っているようなものだからである。
それでもパッシブ運用が注目される理由は、アクティブ運用ファンドの運用不振であろう。そして、TOPIXや日経平均株価に勝てないアクティブ運用ファンドには、存在意義がないことも、間違いないと思われる。
したがって、一般の個人投資家の皆様はこう考えるべきであろう。パッシブ運用でリターンを得られる可能性は十分にあるから、やる意義は十分にある。しかし、アクティブ運用が、TOPIXや日経平均株価のような指数(=パッシブ運用)に勝てる余地も、十分にある。つまり、パッシブ運用というのは、機会損失の塊のような存在なのである。しかし、パッシブ運用に負けてケロッとしている能力不足のアクティブ運用のファンドマネジャーが少なからず存在することが、その機会損失の痛みを感じなくさせている。そして、その機会損失は、何十年後かに、何倍もの痛みを伴って感じられるのである。

大木 将充