推進派、反対派のそれぞれに理あり
仕事柄、香港とシンガポールに出張することが多いが、そこで最も強く感じる日本との違いは、「冷房」の強さである。ホテルに入ると、普通に22~23度の低温で部屋がガンガンに冷えていることが多い。震災後の節電のムードを引きずり、27~28度に設定されることが多い日本のオフィスとは、まるで違う。27~28度の室温は必ずしも不快ではないが、それでも暑い外から帰ってきた後は、汗が10分は引かない。外を出歩くことが多い身として、東京で毎日このような不快な思いをしていると、香港やシンガポールの状況がうらやましくなる。
その意味だけから考えると、原発には早く稼動してもらいたいと思わざるをえない。原発の稼動がない場合に、本当に日本の電力供給能力が不足するかは真剣に検証する必要があるが、スマフォやPC、タブレットなど電力を使用する日用機器が増えていることもあり、電力供給のボトルネックを早く解消してもらいたいと願わざるをえない。
ただし、だからといって原発反対派の意見に理がないわけでは決してない。国土の7割以上が山地である日本の状況からは、太陽光発電の供給能力拡大の余地は大きいであろう。また、そもそもの問題として、地震リスクが高い国において日本の各所に原発を設置することの是非は問われないといけない。
原発の最大の問題は専門家に対する信頼失墜
ところで、2011年3月11日の東北大震災の直後、福島第一原発の状況や今後の展望に関する解説者として、毎日のように、大学教授などの原発の専門家が日替わりでテレビに出演した。そして、同原発においてメルトダウンは発生していない、と主張していた専門家が少なからずいたことをご記憶の方も多いであろう。しかし、現実には、メルトダウンしていた事実が明らかになり、東京電力もその後それを認めた。
このことからの重要なインプリケーションは、「原発の専門家でも災害時の状況を正確に予測できないのではないか」ということのように思われる。もし、仮に、原発事故直後に、専門家がすぐに、「メルトダウンの可能性はあるし、放射線流出の可能性もある」と控えめにでも述べていたとしたら、事情は180度違っていただろう。その後、原子力安全委員会で、原発再稼動の是非を検討しているが、いかなる結論が出ようとも、「なぜ原発事故発生直後に専門家が誤った推測を行ったか」の疑問は払拭できない。したがって、この問題に対し何らかの総括を行うと共に、当時の状況と現在の状況の違いや、今後の予測の正確性に関する説得力の高い論拠がなければ、「多くの」国民の納得は得られないのではないか。
これに対しては、原発に限らず、テレビの原理や、映像などの複雑なデータを無線で送る原理など、原発のように複雑なシステムについて、その原理を知らなくても、一般庶民は問題なくテレビを見たりスマフォを使ったりしているから問題ない、素人が技術に深入りしても仕方がない、という意見もあるようだ。しかし、仮にテレビやスマフォが使えなくなっても、少なくとも人は死にはしない。しかし、原発事故は多数の人を死に追いやることができる。
なお、上記からの間接的インプリケーションとして、なぜ日本では総合電機は何らかの形で存在感を維持できているのに、民生電機の会社は凋落したのかという問いに対する答えの一端が導き出せる。総合電機各社は、原発、飛行機、船、鉄道、軍事関連製品など、ちょっとしたミスが大災害につながりうるという製品群の生産を主力事業として行ってきた。しかし、ソニーを代表格とする民生電機各社は、テレビ等のAV機器、白物家電、ゲームなど、日常生活に必要ではあるが、壊れたからといって(日常生活に支障はあるものの)人の生死には関わらないような製品を世に出してきた。この違いが、細かい意味での信頼感の差やテクノロジーの差を生んでいたのではないかとも思われる。このことは、大企業のシステムにおいて、日立や富士通のPCは採用されても、VAIOがあまり採用されていないように見られるという事象から、伺うことができる。
大木昌光