スペイン、イタリア国債と米国債が同じ金利水準の怪。しかも世界的株高。
あれよあれよと価格上昇を続けていたスペイン国債、イタリア国債が、遂に金利2.5%前後の水準に達した。2011年のユーロ危機では共に7%を超え、リスク資産のような扱いを受けていたのが、信じられないほどの水準だ。これは、米国債の金利と、ほぼ同水準である。
株式市場を見ても、主要市場で年初来のマイナス圏にあるのは、日本と中国くらいで、かなり堅調に推移している。
しかし、このような株高・債券高の割には、過熱感や活況感はまるで感じられず、市場は不気味なほど静かで、ボラティリティは低下の一途を辿っている。VIX指数は、過去20年の比較で見ると、ほぼ最低水準にある。
この背景について、国内外を見ても説得力ある説明は見られず、多くの市場参加者が、価格高騰に満足しつつも、喜び半分といった形で市場を恐る恐る見ているような状況である。
株や債券が上がっているのではない。通貨価値が下落しているのである。
この状況を、次のような例で示してみよう。まず、第一の例として、皆さんが、夕方になって空腹を覚え、何かを食べたいと思ったときに、おいしそうな店が周囲に選びきれないくらいあり、その難しい選択の中で中華料理を食べたとしよう。このときに、どの店にしようか迷う過程では、半分うきうきした気持ちで、色々な店の前を行ったりきたりするであろう。これが、市場におけるボラティリティに例えられるのではないか。
第二の例として、今度は別の日の夕方に、やはり空腹になって、知らない駅で降りて、食事をする所を探そうとしたら、駅前がさびれていて、しかも、不味そうな店しかなかったとしよう。このときは、少しでも良いところを探そうとするが、どこも代わり映えせず、腹が減っていたので仕方なくある中華料理店で食べることにしたとする。このときは、気持ちも沈み、色々探す気も失せるという過程を経て、中華料理屋を選んだわけで、ボラティリティは例一に比べると明らかに低下している。しかし、結果的には例一と同じ(しかし例一よりまずい)中華料理が選ばれている。そして、例一の中華料理は、割安な株・債券であり、例二の中華料理は、割高な株・債券である。割高でも、食わざるをえないのである。
というように、「仕方なく」株や債券が買われていることが、熱狂なき資産価格の上昇の背景にあると筆者は推測している。そして、
では、なぜ「仕方ない」のか?これは、世界的な金融政策と、各国の自国通貨安競争で、通貨の価値が「国家の意思によって」明らかに逓減されているからである。これは、魅力ある商品や、有望な事業機会が溢れていて、個人・法人とも積極的に消費や設備投資を行い、「結果的に」インフレになって通貨価値が下落することと、似て非なるものと私は考えている。
ところで、通貨とは、要は、中央銀行という法人の負債である。この価値が落ちているということは、中央銀行の発行する「社債」への信任が落ちていることを意味する。つまり、中央銀行のクレジットが低下しているという、由々しき事態なのである。そして、上記の中華料理の例における「空腹」は、現在の経済環境で言えば、「通貨を他の資産に変えたい」という欲求と同義に捉えられるであろう。
戦後の日本では、ハイパーインフレの中で預金引き出しが制限され、円の価値は大幅に下落した。このときに、価値を発揮したものは、果たして何だったのか?一つはドル紙幣である。この頃のアメリカはイギリスから覇権国家の地位を奪回して、未曾有の繁栄過程にあった。その発行する負債であるドルが、戦敗国で物資不足に悩む日本の中央銀行の発行する負債(円紙幣)より価値が上がったのは、当然の帰結である。第二に農地である。物価急騰で一番困るのは食料品の調達である。第三に、不動産、特に建物である。これがなければ、寝ることも風雨をしのぐこともできない。
つまり、日本では第二次世界大戦直後は、信用力のある通貨や、衣食住という人間の基本的欲求に関わる実物資産が選好されたのである。
筆者は、こうした状況と、今のグローバル経済の現状が、ある意味で共通点を持っているのではないかと危惧している。そして、一般論で言えば、インフレ(通貨価値下落)ヘッジに適した資産は、株と不動産である。だから、この2つが買われているのである。
ただし、ここで、一つの疑問があるかもしれない。「インフレ時に債券が買われるのはおかしいのではないか?」という問題だ。あるいは、通貨も国債も、要は共に国家の負債なのに、なぜ国債が買われるのか(紙幣が売られるのか)ということである。債券は、通常は期限に発行価格で償還されるので、インフレヘッジ機能は極めて弱いと言わざるをえない。それでも債券が買われる合理的答えは、一つしかない。国債には金利(インカムゲイン)がついているが、通貨には金利が付されないということである。逆に言えば、インフレというものへの対抗力という意味では、大した武器にならないと思われるわずかなインカムゲインでさえも、どの資産を持つかの重要な材料になっている状況が現在なのではないかと考えられる。そうであるとしたら、インフレヘッジ機能という意味で、通貨と大した違いがない債券でさえも、紙幣や通貨を持つより良いというように、「積極的に」判断されていることになる。それくらい、通貨が嫌われているのではないか。
そう考えると、最近、為替市場のボラティリティが落ちていることも、説明がつきやすい。要は、ドルであろうが、ユーロであろうが、円であろうが、通貨である限りは、資産選好レースの「ビリ争い」を繰り広げており、結論として、どれを持っていても大差ない(どの通貨を持つかを考えるくらいなら、「通貨以外の」どの資産を持つかを考えたい)という状況にあるのではないか?
日本政府に一つ提案。直ちに「デノミ」を実施し、現通貨の新通貨への交換に際して、税務署の認印を必須とすること
もし以上のような推論が正しいとしたら、日本では今後は「インフレ」が続くと思われる。そして、国民一人一人が、そのことに気づき始めたら、一時的には大変な事態になろう。
ここで、日本政府に一つ提案したい。
今すぐ、デノミを実施して、世の中にあるタンス預金といわれるものをあぶりだすのである。そして、旧通貨から新通貨への切り替えの過程で、税務署への申告を介在させるのだ。もちろん、タンス預金でも、正当な経済活動によって獲得したものもあろう。したがって、過去との所得との比較で、合理的な範囲内のタンス預金を持つ人であれば、堂々と税務署に申告すればいい。ただし、過去に税務申告をしていない等のいわくつきの「隠したいお金」も日本には、相当程度眠っていると思われる。それに対し、説明が難しいものについてどんどん課税するとよい。
筆者がかつて勤めていた日本興業銀行(及びその他の長期信用銀行や農林中金、商工中金でもそうであった)では、ワリコーやリッキーという金融債券を現物で買うことにより、名義を隠した資産運用ができた。これは、今から見ると信じられない状況だが、これには、戦後の資金不足に悩む企業に金を供給するためには、そうしたグレーなマネーでさえも集める必要があるという、戦後復興のための大義名分があった。しかし、現代のような金余りの時代では、このような措置は決して是認されないであろう。
こうしたデノミによる新通貨発行(しかも税務署を介在させる)は、財政難に悩む日本政府にとって、特需となる可能性がある。逆に言えば、これくらい過酷なことを行っても仕方ないなと筆者が思えるほど、日本のみならず世界の通貨に関しては、深刻な信用力の低下の途上にあると思われる。インフレが進むと、タンス預金は自然と炙り出されるので、その前にやったほうが良い。
いずれにしても、現在の人々は、「インフレやデフレが通貨的現象である」というような寝言を言っているだけでは、済まされない深刻な事態に直面している。
大木昌光