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民主党大統領候補者を通じて垣間見れるトランプ大統領の大統領としての適性

ネット社会の進展で、人々が個々に自己の嗜好を追求することが可能となった結果、人々の興味対象の多種多様化が異様なスピードで進展していると思われる。その結果、高視聴率を打ち出すテレビ番組や、国民の誰もが愛好するヒット曲が極端に少なくなったりしているように思われる。その一方で、ネットでの口コミが高まると、一瞬にして特定の人や特定の物が大注目を浴びるような状況も多々見られる。
 私がファンドマネジャーとして日々感じることは、トランプ大統領の就任後に、マーケットが大きく変節したと思えることだ。ツイートを始めとする、彼の一挙手一投足で、政治も経済も、流れがガラリと変わってしまう。最近まで、その状態をうらめしく思うことが多かった。しかし、最近の討論会などを通じた民主党の大統領選候補者たちの言動を見て、少し考えが変わった。有力候補者の中には、複数の女性が含まれることは当然としても、それ以外で、日本で言う後期高齢者、左翼的色彩の強い人、同性愛者などが混じっている。そのような個々の個性は尊重すべきとしても、そのような候補者については、政策が極端な方向に走る可能性や、支持者層が一定の範囲から広がらないリスクがあると思われる。一方で、トランプ大統領は、日本で言う前期高齢者、アメリカ第一主義、異性愛者である。私は、個人の思想や嗜好は自由でいいと思っているし、だからこそ私自身の思想や嗜好の自由も侵害されたくないと考えている。その前提で、あくまで私の私的観点から、民主党候補者一人一人をトランプ大統領と比較した場合に、大統領として、トランプ氏より好ましいとか、トランプ氏と同等にふさわしいと思える民主党候補が一人も見つからないのだ。2016年の大統領選当時の民主党大統領候補のヒラリー・クリントン氏や前大統領のバラク・オバマ氏は、トランプ氏よりも優秀かどうかの判断は難しいものの、少なくとも大統領になるのにふさわしい資質を有していたと私は考えている。
 一方で、社会の多様化を反映して、政治家が多様化することを歓迎する向きもあり、その考えにも一理あろう。しかし「多様化」は往々にして「極化」を招き、延いては、特定少数の人たちの立場を優先させる仕組みを作りかねないと私は危惧している。その観点からトランプ大統領を見ると、彼のツイッターでの発言は、誰でも公平に受け取ることができ、かつ、マスコミのバイアスもかかりにくいという意味では、「世界に公平に語りかける」という意味で多大な評価ができる。また、彼が、選挙活動での公約を守る形での政策を打ち出しているという意味では、彼は言行一致している側面も強い。さらに、彼が大統領選での再選を意識した政治を行っているということは、逆に言えば、特定少数者のための不公平な政治につながる可能性は理論的に極めて低いことになる。彼は、最近では、イラン攻撃を実行直前に中止したが、そのことで、彼が、戦争という観点から暴挙を行うリスクが多くの人が思う以上に低いことも示された形になり、それは国際的にはポジティブな点になろう。
 つまり、トランプ大統領のこれまでの大統領としての足跡を踏まえた上で、ほかに適任者がいるかという観点から見ていくと、多くの人が感じているより適任なのかもしれないと、最近は思うようになっている。これは、今の日本でも言えるように思える。野党の政治家たちは、安倍政権を年金問題など様々な観点から叩いている。しかし、他に候補者がいるかという観点から見ると、今の日本で彼以上に総理大臣に適任の人が見つからないのも事実ではなかろうか。米中の貿易摩擦問題の一時棚上げと言う結論につながった今回の大阪G20サミットを、議長国代表として務めた安倍総理の世界的な存在感は、これまでの歴代首相でも見られなかった極めて大きなものと感じたのも私だけではなかろう。
 こんな観点からトランプ大統領や安倍首相を捉えれば、株式市場での日々の乱気流による運用者としての心の痛みは、わずかではあるが和らぐように思われる。

大木 将充