最近の世界的な経済停滞と円高進行の中で、市場では、日銀が「何か」金融緩和的なことを行ってくるのではないかという見方が強まってきた。しかし、問題なのは、その「何か」がわからないことである。この背景には、市場の貧困な発想力と、日銀が大規模金融緩和の参考にしてきたと思われるリフレ政策の行き詰まりがあると思われる。
あるいは、最近の米国債の逆イールド現象を捉えて、過去の例を持ち出して、「何か」悪いことが起きるとの恐れが高まり、リセッションの可能性が言われ始めている。しかし、具体的に何が引き金となってどのような経済事象が起こるのかという、肝心の「何か」については語られることが少ない。
この辺りを見ると、「INPUT過多病」に市場がおおわれ、毎日のちょっとした経済事象に、滑稽なほど過度に過敏に反応しているような気がする。
一方で、根拠が薄い考えにベットする例も、少なからず見られる。日経平均株価のPBR1倍が2万円近辺だとの考えで、その水準が強い株価抵抗線になっているが、純粋な日経平均株価算出ベースに則ったBPSは14000円前後のはずだ。それに基づくと、日経平均株価2万円でもPBRは1.4倍になり、割安感はかなり後退する。
あるいは、世界的に、銀行株が金利低下局面で売られる傾向にある。しかし、銀行は、本来的に長期金利ベースでの貸出額が極めて小さい一方で、金利低下を通じて銀行に生じる債券含み益の増加効果は無視しえないほど大きいのも事実である。あるいは、テクニカル分析で、○○日移動平均が良く使われるが、その分析者自体が「だまし」という言葉を頻繁に使って、考え方をコロコロ変える。これは、裏返せば、こうしたテクニカル分析が当たらないことを、使っている人自身が認めていることに他ならないのではないか。
以上のように、漠然とした恐怖に怯える一方で、迷信的なことへのこだわりが根強いのが、今の市場の特徴と言える。そうであれば、株式市場で勝つためには、こうしたもっともらしい考えに依拠しないことだ。その意味では、私個人としては大嫌いな言葉であるが、今の運用者にとって重要なことは、市場の意見や考え方を大規模に「断捨離」することではないかと思われる。逆に言えば、市場には、家庭の粗大ゴミに匹敵するほど「断捨離」すべきモノが多い可能性がある。
大木 将充