No.0078

元ZOZO社長の前澤氏のZOZO売却について

別稿で、ナイキのアマゾンからの離脱の話に言及する形で、世の中の動きが加速度的に速くなっていることを書いた。アマゾンと比較したらアマゾンに怒られるが、同様のECビジネスを展開しているZOZOから、ユナイテッドアローズのような有力ブランドが離脱し始めていることは周知の事実だ。それに対し、YAHOOが親会社となって有力ブランドの引き留めなどしてZOZOの立て直しを進めようとしても、上記の文脈から考えれば、それはかなり難しいことと言わざるをえない。
その流れに抗して客を引き寄せるためには、ポイント還元などの安売り以外には有力な方法はないと思われるが、それは2つの点で多大な副作用をもたらす。第一に、安売りの原資はZOZOなどのECサイトが負担せざるを得ないこと、第二に、安売りはECサイトが引き留めたい有力ブランドが最も忌み嫌う戦略であること。そう考えると、ZOZOの創業者の前澤氏は、良いタイミングでZOZOを売りさばくことができたという意味で、動物的・天才的な嗅覚の持ち主かもしれない。その点では、このタイミングでの決断は、本当にすごいと思う。
しかし、私は前澤氏が2018年に「お年玉企画」を始めたことは、この人に失望する契機となった。人間の品性は、金の稼ぎ方よりも金の使い方で明確にわかる。このような金の使い方は、金の価値も怖さも十分に理解できない成り上がり者が、世間に自己を誇示する時に使う典型的なパターンであると思われる。もちろん、彼がこのお年玉出費に、自社のマーケティング戦略的側面を持たせていることは重々承知しているが、それでも品性の低さは隠せないと感じていた。
その後、彼がストラディバリウスという人類の遺産とも言うべき楽器の名器を買ったのはいいとしても、お世辞にも上手とは言い難い演奏を披露したことに、私は強い怒りを感じた。私もクラシックギターに熱中していた時期があるからわかるのだが、ギターの名器と言われるブーシェやハウザー二世のような楽器の持つ潜在的威力は、真摯に音楽に取り組んだ者しかわかりえない領域のものだ。彼の演奏は、名器への冒涜のように思えるのだ。
いずれにせよ、超急成長企業のZOZOと、剛力彩芽という絶世の美女を同時に得るという、一人の人間としては強すぎる強運を享受した前澤氏は、その二つを同時に失い、今や金持ちの凡人に成り下がった。「人間の幸せの総量は皆同じ」という、やっかみと非科学性に満ち溢れた「法則的考え」に則ると、一生の強運を使い果たしたようにも思われる。彼がこれまでの出費をもっと高尚なものに使っていたら、別の人生の高みが彼を待っていたかもしれないのに・・・。つつましい生活を続け、陰徳を積み上げてきた圧倒的多数の日本人が、これからは、彼よりも幸せな人生を送ることになると思う。

大木 将充