2月4日に、日本電産は、日産自動車出身の関潤氏の社長就任を発表した。この点について、雑感を述べてみたい。
第一に、あくまで個人的感覚だが、この社長交代に何の夢も希望も感じなかった。
関氏は、日産自動車で専務執行役員や執行役副最高執行責任者の職に就いていたが、日産自動車の現在の窮状を見る限り、「少なくとも外部からは」、彼がマネジメントとしてどのような貢献をしてきたかが全く見えない。というよりは、彼は、立場上は、日産自動車の不振の責任を取るべき地位にいた人物と思われる。そのような人を、永守CEOのような実績重視の名経営者がなぜ選んだのかは、必ずしも明らかでない。
第二に、吉本社長の副社長への降格はともかくとして、その理由に多大な違和感を持った。2月5日付けの日本経済新聞によれば、「吉本氏は…文系でものづくりに弱い。」「吉本氏の経験が足りなかった。経験がないと人身掌握は難しい」と永守CEOが述べていたと報じられている。しかし、文系だからものづくりに弱いという言い方は、大学のたった4年間に文系・理系に分かれていた学生時代の事実のみをもって、その後の数十年の製造業での努力を否定しているようなもので、日本電産に入社した多くの文系社員にとっては、やりきれない言葉だろう。
また、経験が足りないというが、誰でも最初は未経験者である。逆に、誰とは言わないが、理系出身でマネジメント経験豊富な人が、能力不足などを背景に、会社の業績悪化の一端を担っているようなケースも世の中には往々としてあるわけで、そのような人の経験が、他社でフルに役立つとは考えにくい。
そもそもの問題として、吉本氏を選んだのは永守氏だし、永守氏が失敗したと認めている集団指導体制を敷いたのも永守氏だ。真に責任を取るべきなのは、果たして誰なのか。更に言えば、仕事の領域で降格という人事はあって然るべきだが、その降格の理由を社外に明言することは人道的に許されるのか?
私が学生なら、この永守CEOの発言を聞いたら、絶対に日本電産には入社しない。入社するときに甘い言葉で誘われても、入社後に何らかで失敗を犯したときに、外部に向けて「ダメな奴」というレッテルを貼られた上で降格されるのはまっぴらごめんだからだ。
大木 将充