No.0091

イギリスでの「ヘディング禁止」と人に流されない「個人の感覚」の重要性

私は、小学校3年生の時に、サッカークラブに入部した。入って、ボールを蹴ることも、キーパーとしてボールをキャッチすることも面白くて、ある一つのことを除いて、基本的には楽しく過ごしていた。その一つのこととは、ヘディングである。初心者だから、うまくボールを捉えられないこともあったのだが、とにかく頭が痛いのだ。その時、私が子供心ながらに思ったのは、「このままヘディング練習を何年も続けたら、頭が馬鹿になるか、脳がおかしくなる」ということだ。その自分の感覚に抗することができず、私は1週間でサッカーを辞めた。この話は、いろいろな方に酒の席で話をしてきたが、冷めた目で笑われて終わりになることが多かった。
しかし、今年に入って、英国のサッカー協会が、子供のヘディングの練習の禁止に動いた。ヘディングが脳に与える影響が考慮されたらしい。私がサッカーに見切りをつけて、40年以上経って、初めて私の感覚が正しかったことが公に認められた。
実は、こうした例は枚挙に暇がない。
以前にも書いたが、私が子供のころは、炎天下のマラソン練習で、水を飲むことが許されなかった。その理由を指導者に聞いたら、「水を飲むと疲れるから」と答えた。私は、子供心ながら「疲れるとかなんとか言う以前の問題として、命の方が大事だろ」と考え、その指導者の指導を無視して、隠れて水を飲んでいた。あるいは、私が子供の頃は、速く走るためには腿を高く上げることが必要という指導が行われてきた。しかし、私は、その当時に、忍者走りのように足を最小限に上げて走る方が速く走れることに気づき、自分なりの走法で走っていた。
このように、私が子供の頃は、無茶苦茶な指導が結構多かったが、それが当たり前のように社会で受け止められ、自分の感覚で「間違っている」と感じ、それを声に発すると異端児のような見方をされた。逆に、そのような時代に生きていたからこそ、私は、子供の頃の原体験を通じて、人間というのは間違いを頻繁に犯すことを学んだ。だから私は、世の中の流れと自分の感覚に相違が生じたときは、一旦立ち止まって考え直し、そこで納得できる根拠が見つかるまでは自分の感覚を重視する生き方をしてきた。
私が、仮に他のファンドマネジャーと違う点があるとしたら、それはこの点だと思う。加えて、私は、アナリストになった時も、ファンドマネジャーになった時も、いわゆる「ジュニア」という立場を経験していない。いきなり現場に投げ込まれ、全て一から自分で考えていったのだ。だから、投資の世界の「常識」は、私にとっての「非常識」のことも多い。例えば、投資判断を合議で決めたり、わざわざ狭い投資ユニバースを設定したり、投資対象をグロースとバリューに人工的に分けることは、多くの投資会社や投資信託で普通に行われているが、私には必ずしも合理的だと思えないのだ。
投資家の皆様は、こうした観点まで踏み込んだ上で、投資信託を購入すべきだと思う。

大木 将充