結婚相手を選ぶときは、緊急事態の際の行動を参考にすべし。それは、あらゆる人や組織を評価する際に、当てはまると思われる。 吉村洋文知事がトップで陣頭指揮を執る大阪府民は、幸せな人たちだと思う。このように、リーダーシップに溢れ、コロナウィルス問題と経済問題のバランス感に優れ、わかりやすい政策を打ち出す人というのは稀有な存在である。
これは、間違いなく、大阪経済の発展に繋がるであろう。なぜなら、吉村知事の姿を見て、大阪に住みたい、大阪でビジネスをやりたいという企業や人が間違いなく増えると予想されるからだ。それに引き換え、東京都の小池百合子知事には失望させられる。厳しい外出自粛規制や、緊急事態宣言の延長について、ただ政府の意向に唯々諾々と従い、5月6日現在で数値を伴った明確な出口基準も示すことができていない。緊急事態宣言だけでも国民の負担が重いのに、買い物を3日に1回にしてほしいというような不合理な考え方を打ち出して、都民の困惑を増幅させている。
何よりも私が問題だと思うのは、彼女の政策の推し出し方が、東京都民に希望を与える形になっておらず、東京という日本の中心地の価値を不必要に押し下げていることだ。今や、日本中から、東京都民は来るなと言われている。しかし、大阪府民が来るなという声は相対的に少ないし、吉村知事の活躍もあって、これから急速に減っていくであろう。この違いは思った以上に大きいにもかかわらず、その違いの意味やインパクトに多くの人はまだ気づいていない。これは、町のイメージ形成に関わる大事なものなのだ。「実体」は、「イメージ」に引きずられる形でタイムラグをもって形成されていくのである。先ほどの大阪との対比で言えば、東京の経済活動や人口、地価などが、今後はじわじわと大阪の後塵を拝する可能性が高い。いずれにしろ、大阪府と東京都で、最近まで感染状況に大きな差がなかったのに、上記のように、東京は大阪に大きな差をつけられる形になった。これは、首長の資質・行動力・熱意の差による部分が大きいと思う。
ところで、世界に目を向けても、今回のコロナウィルス問題で信頼を失ったとみられる主体がいくつかある。例えば、日本人の目からは、IOC(国際オリンピック委員会)という団体への不信感は否めないであろう。東京五輪なのにマラソンコースを勝手に札幌に変えたところで多くの日本人は、この団体はどこかおかしいのではないかと思わなければいけなかった。4月には、東京五輪延期の追加費用について、日本が負担することに合意したと公式サイトで勝手に示し、日本が否定すると、削除した。こんな団体の下で、東京五輪を延期してまで開催する必要があるのか、日本は真剣に考える必要があろう。
また、WHO(世界保健機関)という組織の信頼度は、日本のみならず、世界で揺らぎつつある。特にテドロス事務局長の発言には、首をひねりたくなるものが多い。そもそも1月の段階で、WHOは同ウィルスをパンデミック扱いにすることは十分できたはずで、テドロス氏が同ウィルスをパンデミックと認めたのは、馬鹿でもこれがパンデミックではないかと考えられる状況に至った3月だった。彼の言動は、しばしば中国寄りと批判され、私もその疑いは濃いと思っているが、Newsweek誌でも「中国によるWHO支配」との表現がなされているほどだ。そう考えると、WHOが世界の国々にとって公平かつ有力な保険医療機関であるという信頼は、崩れつつあるように見える。
そうした中で、私が危惧するのは、コロナウィルス問題において、緊急事態宣言という経済を揺るがす大事が起きているのに、それに対し批判的かつ発展的な意見が、証券界からあまり出てこないということだ。普段は、日銀が現状以上に緩和をすべきか否かなど、はっきり言ってどうでもいいトピックには、くどいほど色々なことをいう市場関係者が、緊急事態宣言自体の当否についてはあまり発言せず、政府の方針を忠実に守る優等生と化しているようだ。おそらく、世の中の流れが明確にある方向に傾いてから、饒舌になるのかもしれない。優等生というのは、概ねそういう傾向にあるが、世の中が大きく変化するときには、そうした人はほとんど役に立たないと私は考える。
大木 将充