日本の鉄道会社の株は、世界的に稀有な地位を占め、かつ、日本の大都市形成に多大な役割を果たしてきたと考える。第一に、ニューヨーク、ロンドン、パリ、サンフランシスコ、シドニー、上海、シンガポールなどの世界的大都市と比較しても、東京や大阪の鉄道網の充実度合いは桁違いに大きいと思われる。これを背景に、例えば首都圏では、東京都に埼玉県・神奈川県・千葉県を加えた広大な経済圏が形成され、そこに属する人口が3000万を超える。この面積的にも人口的にも、他国の都市を凌駕した巨大な経済圏は、鉄道によって賄われてきたと言っても過言ではない。
一方で、このような少数の都市への一極集中化現象が続いた故に、看過できないひずみが生じてきた。それは、「長時間かつ混雑」という弊害を伴った通勤である。私も、時々会社に行くことを苦痛と感じることがあるが、そのネガティブ心理を自分なりに分解してみると、かなりの割合が生き帰りの電車通勤に関する「無駄な時間」と「不快な時間」で構成され、仕事の要因はそれほど強く作用していないと実感していた。
このような中で、コロナウィルス問題が起きた。世界的にリモートワークが進展し、必ずしも会社に出勤しなくて済むし、会社の近くに住まなくても良いことを、多くの人が体感してしまった。
ここで、再び通勤の問題に戻りたい。よくよく考えると、私たちは、電車に心から乗りたいと思って乗っていたわけではない。仕事場に行くために、「仕方なく」電車に乗っていたのだ。また、三菱地所や三井不動産のような不動産デベロパーの事業についても、似たようなことが言える。私たちは、大手町の丸ビルや、日本橋のコレドが大好きでそのようなビルに通っているわけではない。その中に、自分の所属する会社があるから「仕方なく」大手町や日本橋に通っているのだ。
このように、人々が、「仕方なく乗っていた」電車に乗る必要がなく、「仕方なく通っていた」オフィスに行く必要がなくなったことは、明治時代の近代日本において初めての事象であるとも解釈できるが、それが、実は人々が待ち望んでいたということに重要な意味合いがあると思われる。このことは、ディズニーランドとの対比で考えるとよくわかる。ディズニーランドは多くの人が「心から行きたい」場所という意味で、鉄道やオフィスビルとは異なる。コロナウィルス問題で行けなくなったからと言って、その後に行かなくなることはない。むしろ、閉園期間が長期化して、その存在価値が再認識されて、益々行きたいという気持ちが強まった人も少なくないであろう。つまり、ディズニーランドは、コロナウィルス問題後は、何事もなかったように人を惹きつけ続けることは想像に難くない。
その意味で、私は、鉄道会社と不動産デベロパーは、90年代のバブル崩壊や2008年のリーマンショックと比較にならない、厳しい局面に直面していると考えている。
大木 将充