コロナ問題による鉄道会社の苦境に、私は様々な形で触れてきた。ここでは、違う角度から、鉄道会社を見てみたい。
1900年代前半に、多くの私鉄が現在に近い鉄道網の敷設を完了した。この当時は、東急電鉄の五島慶太氏、西武鉄道の堤康次郎氏、東武鉄道の根津嘉一氏、阪急電鉄の小林一三氏といった、個性に溢れた経営者が、鉄道会社を率いていた。この頃の鉄道会社の状況を、現在と比較すると、大きな相違点が一つあると私は考えている。今の鉄道会社は、「既存の鉄道インフラ」という過去の遺産を活用した事業展開を図っているのに対し、20世紀初頭の私鉄各社は、時期的に鉄道敷設と同タイミングかわずかなタイムラグをもって、住宅や商業施設の開拓を行っている。
つまり、何もないところに鉄道を引くという、起業家精神が満ち溢れていないとできないような難事業に取り組んでいたということだ。もっと単純化すると、今の鉄道会社は、「電車が通っている土地を開発」しているにすぎないが、20世紀初頭の鉄道会社は「自分の所有地に鉄道を引く」という壮大な事業を展開していたのだ。これは、インターネットが進展して、今のインターネット関連企業が、大前研一氏が述べる「見えない大陸」を様々な角度から「開発」している姿と同視できる。つまり、当時の鉄道会社は、今のM3やユニクロ、メルカリ、ソフトバンクグループといった現在の新進気鋭の会社に引けをとらない会社だったということだ。
確かに、現在の鉄道会社は、既存の鉄道事業というインフラを活かして、駅の周辺の商業開発・宅地開発を次々に成功させ、主要都市の機能面の充実を裏方で支えてきた。しかし、裏を返せば、彼らは先人が苦労して築いた鉄道インフラという贈与物に甘え溺れて、社員の力ではなく駅の力に頼った事業拡大を進めてきたにすぎない。気が付いたら、不動産開発事業、ホテル事業、小売事業、オフィス賃貸事業のような分野にまで進出を果たしてきたが、それらの概ね全部が「先人の敷いた鉄道インフラ」を前提とし、逆に言えば、その鉄道インフラの価値が落ちたらつるべ落とし的に概ね全ての業績が悪化する事業構造を作り上げてきた。そして、明治時代のスタートから始まった近代日本の歴史上で、初めてと言ってもいいような変化が、コロナウィルスによってもたらされた。その変化とは、人の移動の減少である。
これは、ある意味で、「見えない大陸」が「見える大陸」を凌駕しつつある現状を端的に示している。そして、私たちは、コロナ問題によって、鉄道会社が、衰退に向かっていた「見える大陸」の開発にのめりこんでいたことが目の当たりにすることになった。その意味で私は、鉄道会社は、彼らのほぼ全事業が「見える大陸」に関するものであったという意味で、各社の歴史上初めてと言ってもいいほどの、「長期的な業績衰退の入り口」に差し掛かっているように思える。
それでは、このような未曽有の社会変化の真っ只中で、今、各鉄道会社がやるべきことは何か?それは、各社が、100年前は、今の先進企業に勝るとも劣らないベンチャー企業であったことを各社員が思い出し、その時と同様の気持ちを常に持ち続けながら現在の事業を見つめ直すことであると考える。その意味では、まだ盛り返すための可能性も時間も残されていると思われる。
リニアをこれから作ろうとする会社を除けば。
大木 将充