9月30日の大統領候補の討論会を見た感想は、レベルが低い罵り合いだなということ。まるで、老人ホームの後期高齢者が、好き勝手に口喧嘩しているようにしか見えず、私からすると、討論会を見たことによる「中身的収穫」はなかった。
この討論を見て、「トランプが優勢」だとか「バイデンが勝った」とか、人によって感じ方も様々だった。しかし、どちらを勝者と考えたかの根拠を様々な評論家が話しているのを聞いた限りでは、トランプがアグレッシブだったから、とか、バイデンが息子のことに触れて人間味を示したからとか、米国のテレビ局がこう報じたから、とかであり、はっきり言って根拠が脆弱なうえに、みんなが違うポイントを根拠に挙げており、それは結局、どちらにも決定打がなかったことを示しているという感を強く持った。そうであれば、世界で最大の国の大統領にならんとする2人が、小学校の学級会でも見ないような低レベルの罵り合いを展開していたという脱力感を、多くの人が最大公約数的に感じれたのではないかと推測している。
これを見て、「アメリカという国も終わりだ」という短絡的かつ悲観的な結論を引き出すのは容易だが、私の意見は全く異なる。こんな2人のどちらが大統領になっても、国政がうまく運営されることを期待できるのが米国という国の奥行きの深さだからだ。
コロナショックで金融マーケットが大きく崩れた3月中旬から1か月もしないうちに、米国が5兆ドル規模の経済対策を出したのを見て、私は、その速度と規模に驚嘆した。それを見て、私はポジションを強気に変えたのだが、それは、この国の足腰の強さを端的に示しているように思える。この対策は、恐らく、大統領がトランプであろうがなかろうが出てきたものであり、大統領を裏で支える陣容のクオリティがいかに高いかを示していると考えられよう。FRB(連邦準備制度理事会)が、ジャクソンホール会議の場で、インフレ率が2%を超えるまでのインフレ率を許容し、そこに達するまではゼロ金利を維持すると表明したタイミングも、市場予想を上回る速さであり、その決断力と決断の速さにも驚いた。つまり、金融面でも財政面でも、米国の政策立案能力は盤石で、十分に信頼に足る水準にあるものと私は考えている。
そうであれば、大統領選挙に対し、金融市場はこれまでの大統領選と同様に慎重なスタンスで眺めてはいるが、結果的には、どちらが当選しようが、米国経済には大差がないように感じられる。
それを前提にすると、株価は、結局は、「米国のゼロ金利」と「経済活動の戻りの程度」にかかっていると考えるのが妥当ではなかろうか。そうであれば、ゼロ金利は株価を下支えするし、経済活動は普通に考えれば次第に戻ると思われることから、株価は数か月レンジでは上に向かうと考えている。もちろん、11月の大統領選挙を前に、全体のポジション縮小や売りポジション拡大が進んでいく可能性は十分にあるので、10月の株価の動きは神経質になるかもしれないし、新大統領の誕生直後に株価が急落する局面があるかもしれない。しかし、それさえ過ぎれば、それまでの慎重スタンスの巻き返しで、トランプ大統領誕生時と同様の株価上昇の事態が起きる可能性が高いと、私は見ている。
大木 将充