若気の至りかもしれないが、私は、中学生の頃にパイロットに憧れたことがあった。日本航空や全日空に入りたいと、航空関連の書籍や、飛行機操縦法の本まで買い集めたものだ。しかし、その夢はあっけなく潰えた。視力がパイロットになるために最低限必要な水準に足りなかったからだ。そのことを知って、2-3日は何もする気が起きないほど、絶望的な気持ちになったことを覚えている。
翻って、今年の学生の就職活動を見ると、コロナ問題で、風景が180度変わった印象を受ける。求人が目に見えて減るのみならず、航空業界や外食業界は、存続自体が厳しくなるほどの環境の激変に見舞われ、新規採用が大きく絞られる形になった。特に、航空業界は、子供の頃から憧れていて、そこに就職するために学校を選んだような学生も数多く存在するため、今年に門戸を閉められた学生には同情せざるをえない。
しかし、物事を違う角度で見てみよう。去年、航空会社に合格した学生は、就職後1年も経たないうちに、前代未聞の会社の窮状に見舞われることになっているのだ。挙句の果てには、航空会社に就職したのに、スーパーマーケットや家電業界に出向させられる可能性さえ出てきている。そのような苦境が短期で終わればいいが、今度ばかりはそうはいかないと考えざるをえない。ビジネスで人が移動しなくても構わないケースが多々あることが判明した上に、ESG(環境、社会、ガバナンスの頭文字)の観点から、人が二酸化炭素を多く排出する飛行機に乗る意義がこれから益々厳しく問われていくからだ。
もっと、厳しい比喩を展開させて頂くと、飛行機のパイロットは、タクシーの運転手と何が違うのか?客室乗務員は、喫茶店のウエイターやウエイトレスと何が違うのか?飛行機の整備士は、自動車の整備工と何が違うのか?多くの学生は、「飛行機」というイメージ向上フィルターを通じて、自分がなりたいという職業に勝手にファンタジーを加えていないか?パイロットも客室乗務員も整備工も、将来はAI(人工知能)、IOT(モノのインターネット)、FA(工場自動化)などに駆逐される代表格の職業ではないのか?
その意味で、私は、航空業界に就職できず悲しみに暮れている学生に、こう申し上げたい。
「あなた方は、10年後に、かなりの高確率で、航空業界への道を絶たれて本当に良かったと実感するであろう」と。私は、視力の問題でパイロットになれなかったが、そのお陰もあって、金融業界でアナリストやファドマネジャーになることができ、本当に良かったと実感している。
なお、私は社会人になった後、色々回り道をした挙句、アナリストやファンドマネジャーになりたいと何十の証券会社や運用会社に履歴書を送った経験がある。しかし、ほぼ全社に落とされた。その挫折を乗り越えて、今の職業人生がある。前述の話と矛盾するようであるが、自分が「これだ」と確信した道を見つけたら、その達成に向けて死に物狂いで頑張らないといけない。よく、「若いころに戻りたいか」と質問されることがありますよね?私は、戻りたくない気持ちが、戻りたい気持ちをわずかに上回っている。なぜなら、もがき苦しんだ若き日の人生が、あまりにも苦しくて、もう一度味わいたいとは決して思わないからだ。
大木 将充