MSCI指数の定期銘柄入れ替えで外されることが決まり、その需給インパクトが大きかった京都銀行や名古屋鉄道の株価が叩き売られた。そこで、京都銀行の財務体質を改めて見直してみたのだが、市場がその健全性と成長性を軽視しているのではないかという意がより強くなった。
というのも、京都銀行の一株当たりの純資産は、2020年3月末の11,014円から2021年3月末の15,413円まで約40%も増えている。利益ではなく、資本が40%増えているのである。これは金融機関としては驚異的なことであると思う。その主因は、保有株の含み益の増加である。同行の有価証券評価差額は1年間で4,387億円も増えたことで、純資産も3,331億円増加している。同行が、任天堂、村田製作所、ロームなどの成長優良企業の株を大量に保有していることが背景にある。
それにもかかわらず、株価は、MSCI構成銘柄から除外された影響もあって、コロナウイルス問題直前の2019年末4,700円から、6月3日現在で5,450円と、16%程度しか上昇していない。
京都銀行のような銘柄については、私はアナリスト時代に、ROE(自己資本利益率)の計算式を、「利益÷自己資本」ではなく、「自己資本の増加分(配当込み)÷自己資本」で見るべきだという提言をしたことがある。その観点から言えば、前期のROEは40%程度と極めて高い水準になる。しかし、普段は企業評価でROEを信奉する市場参加者で、このような見方をする人に出会ったことがない。含み益の増加も、間違いなく企業価値の一端を構成しているのである。
また、2019年に同行が、任天堂株の一部を売却したとき、市場関係者の多くが、ガバナンス向上の観点からポジティブという意見を示している。しかし、私には馬鹿げた意見に思えた。任天堂株が2%程度の配当利回りを実現している中で、それを売却するのは良いが、その2%の利回りをカバーするための運用先を探す必要があり、そのような先が容易に見つかると思えない。感覚的には、任天堂株保有のリスクより高いリスクを取らなければ、それほどの高い利回りを実現できるとは思えない。
そもそも、任天堂の規模が小さいときに投資に踏み切った京都銀行の判断は、現在の行員の飯のタネにつながっているという意味で大英断と評価できる。それを、「政策投資株」というつまらないカテゴリーに無理やりはめこんで、売却するのが当たり前というようなスタンスで見ること自体がナンセンスであり、市場の発想の貧困さを示している。私は、同行の厚い自己資本に鑑みると、何ら売る必要はなく、逆に長い年月の下で莫大な含み益を実現したことをもっと誇って良いように思う。同行の保有株に、京都の優良株が多く含まれていることを考えると、同行株を一つの投信と見なして投資妙味を考えても良いのでは、とさえ思えるのである。
大木 将充