あくまで個人的な意見で、バイアスに満ち溢れているが、私は「断捨離」という言葉が大嫌いである。なぜ嫌いかを自分なりに分析してみると、2つの理由が思い浮かんでくる。
第一に、日本人の心に脈々と受け継がれてきたアニミズム(生物や無機物を問わない全てのものの中に、人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考え方)のDNAが、私の中で宿っているからであろう。生物であれ、非生物であれ、その中に「霊」があるという考えは、科学が進化した現代では排除されるべき考えかもしれない。しかし、土足で室内に入り、靴をはいたままベッドにねそべり、机に座って電話をかける一方で、ペットを溺愛したり家族に最大限の愛情を注いだりするという形で、生物と非生物への向き合い方が大きく異なる欧米人の働き方を見るにつけ、何か違うのではという違和感を禁じ得ない。動植物と同等とは言わないまでも、それに準じた扱いを自分が出会ってきた非生物にも行うことが、私には自然なことに思えるのだ。
第二は、断捨離は、特定のモノが「不必要」という判断の下でなされるものだが、その基準が曖昧なのだ。これに対しては、「モノに対する執着を捨てましょう」とかいう、もっともらしい解説がなされるが、なぜモノに執着してはいけないのか?
ところで、現在は、数十年ぶりに世界的なインフレが起こっている。これについては、短期で終わるとの見方があるが、私にはそうは思えない。脱炭素という理念を前面に押し出した政策が世界的に推し進められていることを考えると、10年単位で続く可能性があると思っている。今は、資源や中間財のような川上に近い場所でインフレ傾向が顕著となり、最終財を扱う企業が価格転嫁とマージン悪化に苦しむ構図が見て取れるが、次第に価格転嫁が日常茶飯事となり、見渡す限りあらゆる商品・サービスの価格が年々上昇していくだろう。
そうなると、同じような収入で同じような生活をしていながら、モノの所有を少しずつ進めてきた「所有派」の人と、モノは借りればいいと決め込んできた「借りる派」の人の格差は、拡大する一方になろう。
特に、人生最大の買い物である不動産については、これまでは「土地」が不動産価格の大層を占めていたが、これからは、様々な資材価格や製品の価格高騰で、「建物」の価格高騰による不動産価格上昇が顕著となるように思う。
ちなみに、東京都心の一等地については、「借りる派」の人は、これまで賃料を長年支払い続けた上に、今マンションや戸建てを買おうとしたら10年から20年前の倍近い金額を支出する必要が出ている。しかし、高いと感じて買い控えると、これからは建設コスト上昇による不動産価格上昇に苦しむリスクが出てこよう。大げさな表現を使えば、進むも退くも地獄である。また、不動産ほどではないにしても、捨てようと思っていた古い道具、家具、衣服などを捨てなくて良かったと思える場面は、これからのインフレ局面で有意に増えてくると予想される。
何度も言うが、私は「断捨離」が大嫌いということもあり、モノはできるだけ大切に手元に置いてきたし、居住用の不動産も手当てしている。つまらないトレンドに影響されなくて良かった。アニミズムのDNAが、つまらないトレンドに久しぶりに勝てそうだ。
大木 將充